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「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(1−1)

折原 浩

2004727

 

 

はじめに

 前稿「マックス・ヴェーバーのBeruf論――ルターによる語義創始とその波及」および前々稿「マックス・ヴェーバーのフランクリン論――理念型思考のダイナミズム」(ともに本コーナーに掲載)では、「倫理」論文の第一章「問題提起」第二節「資本主義の『精神』」冒頭(第111段落)に見られるフランクリン論と、同じく第一章第三節「ルターの職業観」劈頭(第1段落とそこに付された三注)で展開されているBeruf論とに的を絞って、原著者ヴェーバーの論旨を、一方では「倫理」論文全体のなかでそれぞれが占めている位置価、他方では細部にも貫徹されている歴史・社会科学方法論との関連、を見失わないように、検討し、解説した[1]

 この二稿は元来、拙稿「虚説捏造と検証回避は考古学界だけか――『藤村事件』と『羽入事件』にかんする状況論的、半ば知識社会学的な一問題提起」(「その1」と「その2」に分けて本コーナーに連載)の一部に編入される予定であった。ところが、両稿は、それ自体としては上記二論題にかかわるヴェーバー・テクストの内在的解釈の域を越えないにもかかわらず、「虚説捏造」稿全体の平衡を失するほどに膨れ上がり、知識社会学的外在考察に転じた趣旨を損ねかねないとも危惧された。そこで、当該部分の草稿を元の位置から抜き出し、独立の二論文に仕立て、本稿の前段として、本稿のまえに発表した次第である。

 筆者は、「虚説捏造」稿で、ほぼ同時期に起きた「藤村事件」と「羽入事件」とを類例として対比し、両事件に共通の本質を、両当事者が「学問上疑わしい手段」で耳目聳動的に「定説/定評」を覆し、一躍脚光を浴びて「学界の寵児」にのし上がろうとした「刷新innovation」(RK・マートン)類型の逸脱行動として捉えた。現代大衆教育社会では、受験体制の爛熟、大学教養課程の形骸化・空洞化、大学院の粗製濫造、研究職/専門職市場における競争の激化といった諸契機の布置連関から、逸脱行動一般の駆動因ともなる「ルサンチマン」[2]と「過補償over-compensation」動機[3]が、年々構造的に生産/再生産され、高学歴階層に、そうした動機の「集積槽」、「自分の真価が世に認められないと感じて『逆恨み』を抱く知識人les incompris intellectuells」の「供給源」が形成されている。したがって、そうした構造連関と動因が直視され、制御され、(あるいはせめて逸脱行動への軌道が)転轍されないかぎり、個別「羽入事件」そのものは羽入の白旗(論争回避)で一件落着するとしても、この事件の類例は、人を変え、所を変え、形を変えて、いつなんどき再発するともかぎらないであろう。そういうわけで、「虚説捏造」稿における理解/知識社会学的外在考察からも、「大学院教育の実態と責任」が、現代教育学ないし教育社会学にとって喫緊の課題として、それにもかかわらず未着手/未開拓の問題領域として、浮かび上がってくる。

 ところで、筆者は、以上のように要約される行論の途上で、つぎの点を指摘し、強調した。すなわち、同じく「刷新」類型の逸脱行動における「学問上疑わしい手段」といっても、藤村と羽入とでは、採用された手段そのものの疑わしさの質は、明白に異なっている。藤村が、偽遺物を直接遺跡に持ち込み、自分の行為を「捏造」と自覚して他人に隠していたのにたいして、羽入は、自分の行為を「捏造」とは思わず、むしろ「世界初の発見」と称して公然と承認を求めている。しかし、羽入は(羽入書の主張を、類例との対比のため「遺跡発掘における新発見」になぞらえれば)、意図してではなくとも、「遺構」(かれのばあい「倫理」論文のみ)の特定部位(フランクリン論とBeruf論)から拾い出したいくつかの「遺物」(フランクリン論とBeruf論とを構成するいくつかの論点ないし語/語群)を、遺構そのものにおける遺物群の配置構成とは異なる(羽入が外から持ち込んで「犯行現場」に見立てた)「配置構成図」に移し入れ並べ変え当該遺物が本来の遺構内部で持っていたのとは異なる意味」(「杜撰」「詐術」「詐欺」の証拠)変換」している。藤村のように、個々の偽遺物を直接持ち込むのではなく、遺物そのものは遺構の特定部位から抜き出してくるとしても、遺構とは異なる配置構成図のなかに取り込む[4]ことで、遺物の意味変換を引き起こし、「ヴェーバー詐欺師説」を捏造しているのである。

 そこでまず、羽入が遺物を取り出す遺構の部位(フランクリン論とBeruf論)に本来そなわっていた遺物群の配置構成を、「倫理」遺構そのものに即して再構成し(前二稿)、そのうえで、羽入がそのなかからいかなる遺物を取り出し、いかなる配置構成図に移し入れ、いかなる意味変換を生じさせているか、――そうした意味変換操作を、始点から終点まで、かれの叙述に内在して跡づけなければならない(本稿)。そうして初めて、羽入辰郎の「ヴェーバー詐欺師説」が、そうした意味変換操作による虚説捏造の産物であると、疑いの余地なく立証されよう。

 

 

§1「唯『ベン・シラの知恵』回路説」による意味変換と杜撰な解釈とにもとづく「ヴェーバー『杜撰』説」の捏造

 

 羽入は、「第一章 “calling” 概念をめぐる資料操作――英訳聖書を見ていたのか」で、「倫理」論文第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」の一カ所(本文第1段落に付された注3末尾の第[6]段落、「遺構」の特定部位)から、16世紀のイングランドにおける英訳諸聖書の訳語にかんする叙述(原文で16行約150字)(「遺物」)を引用し(羽入書、21ぺージ)[5]ⓑ「唯『ベン・シラの知恵(以下『シラ』)』回路説」とも名づけられるべき羽入のパースペクティーフ(「配置構成図」)に移し入れ、ⓒヴェーバーが英訳諸聖書を手にとって調べず(とりわけ、この「唯『シラ』回路説」からすれば真っ先に当たるべる『シラ』の訳語に当たらず)、OEDに頼り、そのうえOED記載事項の引用も誤っていると称し、要するに学者にあるまじき「杜撰」な資料「操作」の「証拠」に「意味変換」して、著者ヴェーバーを断罪している。そこでまず、羽入が論難の的としている当該第[6]段落の位置価(「倫理」遺構全体のなかで占める位置と意義)を再確認することから始めて、羽入による断罪の妥当性を逐一検証していこう。

 

1.「合理的禁欲」の歴史的生成と帰結――「倫理」論文の主題

 「倫理」論文全体の主題は、当然、本論(第二章「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」)で取り上げられている。内容を要約すれば[6]、@カルヴィニズムを初めとする「禁欲的プロテスタンティズム」の大衆宗教性における「合理的禁欲」動機の歴史的生成(第一節「世俗内禁欲の宗教的基盤」)と、Aそうした宗教的禁欲の(修道院でなく)世俗内職業における実践が、富(業績)を生み出すことによって他ならぬ「富の世俗化作用」(ヴェーバー)ないしは「原罪」(マルクス)に屈し、(宗教性としては)みずから墓穴を掘り、「近代市民的職業エートス」(ないしは、経済という一特定領域への発現形態・一分肢としての「近代資本主義の精神」)に転態をとげ、さらには「純然たる功利主義」に解体して、「末人」(ニーチェ)ないしは「大衆人」(オルテガ・イ・ガセ)流の「生き方Lebensführung」にいたりつく「逆説的」経緯(第二節「禁欲と資本主義精神」)が、後に「理解社会学」と命名される「意味」解明の方法を駆使し、「意味変遷(精神史)の理念型スケール」を構成して、一望のもとに把握され、描き出されている。

 「倫理」論文以降における学問/思想展開を見通していえば、そうした「意味変遷の理念型スケール」を構成して初めて、一方ではそれを、西洋近代以外の諸文化圏における文化発展という(対照項としての)類例と比較し、西洋文化とりわけ西洋近代文化の特性を把握し、因果帰属して、みずからが現に立っている文化史的境位の学問的自覚[7]に到達することができる。他方では、そうした「普遍史(世界史)Universalgeschichte」的パースペクティーフを確保したうえで、さればこそひとつの文化圏に相対化される西洋近世以降の文化発展にふたたび立ち帰り、これをこんどはむしろ時間的空間的に細分し、改めて歴史研究の対象に据え、「意味変遷の理念型スケール」を適用/展開し、「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」(『経済と社会』)に集大成された「類型的/法則論的知識」を効率よく援用しながら、(第一次世界大戦敗戦後の祖国ドイツに足場を定め、アングロ・サクソンとロシアという二大「文明」の狭間に立って、双方に文化史的精神史的に対峙対抗しつつ、「末人」「大衆人」流「生き方」の跋扈/跳梁を克服する方途を探っていくこともできよう。

 

2.救済追求軌道の世俗内転轍と伝統主義――ルター宗教改革の意義と「限界」

  では、「倫理」論文本論の主題にたいして、前段をなす第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」は、なにを論じ、どんな位置を占めるのであろうか。そこではまず、@ルターによる宗教改革の画期的意義が、明らかにされる。すなわち、ルターは、「命令」と「勧告」との二重規準により、「命令」しか守れない「(在俗平信徒)大衆」と、「勧告」にもしたがう「達人(修道士)」とを分け隔てる、中世カトリックの「世界像」と教会身分構造を、「ひたすら信仰によってsola fide」の根本的立場から否認/否定した。社会学的に見れば、修道院行きの「軌道」に乗って世俗内からは逃避/消散していた宗教的能動層の「観念的利害関心」を、「世俗内」にとどまって(聖職者や修道士に優るとも劣らない)日常道徳/職業道徳を遵守する「軌道」に向け換え、以後その実践的活力が、ともかくも世俗内で発揮される初期条件をととのえたのである。ところが、Aルターのばあい、そうして「転轍」された「世俗内」救済追求の「軌道」のうえで「いかに生きるべきか」という肝要な点にかけては、かえって(とはいえ、宗教性に徹するがゆえに、ともいえる)「伝統主義」への傾きが見られ、これが152425年農民騒擾への対応以降、年とともに顕著に現われてきた。すなわちルターは、伝統的な社会秩序のもとで、各人がそれぞれ社会的な「身分」や「職業」に編入されることそのことをも「神の摂理」とみなし、自分が編入された職業に「堅くとどまり」、そのなかにあって「神に服従すべし」と説いた。伝統的な社会秩序とその「下位単位 subdivision」(「身分」ばかりか「職業」さえも)が、「神の摂理」として聖化され、したがって当然、各人の職業活動も伝統の枠をこえてはならないとされた[8]

 前稿で論証したとおり、ルターは、そうした「摂理観の個別精緻化」と「伝統の神聖視」とにますます傾くなかで、(フリーハンドで「わざの巧みさ」を賞揚して「わざ誇りWerkheiligkeit」を触発しやすい)『箴言』22: 29の「わざmelā’khā には、(原語としてはBerufを当てやすい語であったにもかかわらず、じっさいには)Beruf を当てず、あっさりGeschäftで通した。それにひきかえ、(伝統主義的/反貨殖主義的な「神への信頼」を説く)『シラ』11: 20, 21では、原語としてはもっぱら世俗的な「仕事work」を意味するergonばかりか、かえって「神の懲罰」としての「苦役toil」という意味合いさえ帯びるponosにまで、あえてBerufを当てた。まさに翻訳者としての意訳、「伝統主義」的精神の表明として、「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ語Berufを鮮やかに創始したのである。

  ただ、ルターに見られるこうしたA「限界」の確定は、ルターの宗教性そのものにたいする本質的批判と混同されてはならない。「倫理」論文に固有の問題設定――すなわち、(ヴェーバー自身も含めて現代人が囚われてはいるが、その意味も来歴も曖昧になってしまっている)「職業義務観」を核心にもつ「(価値)合理的な生き方」「近代市民的職業エートス」について、その歴史的始源を突き止め、変遷の跡をたどり、明晰な自覚にまでもたらそうという「倫理」論文全体の目的ないしは問題設定――からすれば、そのかぎりで、そうした「生き方」の直接の(あるいは至近の)始源と見られるのは、ルター/ルター派ではなく、「禁欲的プロテスタンティズム」の「世俗内禁欲」であり、それにたいしてルター的宗教性(そのものというよりも、そ)の外的社会的作用には、「禁欲」ではなく「伝統主義」に傾く(「禁欲」から見れば「逸れる」)歴史的文化意義「限界」が認められる、というにすぎない[9]。そうした特定の「限界」確認から、「では、ルターによって『世俗内』に向けて『転轍』された救済追求の『軌道』を引き継ぎそのうえで『禁欲』の動機をつけ加え、『世俗内禁欲』に『転轍』したのは、いついかなる宗派か」という問題が設定され、本論(第二章)に引き渡されて、(カルヴィニズムをもっとも首尾一貫した類型とする)「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」が問われることになる。それゆえに、ここにいたる第一章全体に「問題das Problem」(梶山訳/安藤編では趣旨を汲んで「問題の提起」)という章題が付されているのである。したがって、第一章第三節「ルターの職業観」の全体を取り出すとしても、そこにおける大意上述の議論は、こと「倫理」論文にかんするかぎり[10]、「全論証構造」の「要」でも「中心」でもなく、主題を扱う本論に入るまえの、(重要ではあっても[11]ひとつの与件にかんする予備討論にすぎない。

 およそ研究者は、ある文献を学問的に読解しようとするばあい、原著者自身による重点の限定的配分、叙述各部位の軽重の度合い、これにもとづく章節の配列/構成を、テクストそのものに就き対象に即して読み取らなければならない。そうする労を厭い、原著者自身のパースペクティーフを無視して、自分のパースペクティーフを持ち込み、押しかぶせて、「要」や「中心」を勝手に創り出してはならない。そういう安易な独善的捏造を「脱構築」などと称して正当化してはならない。そうした恣意的操作を戒め、あくまでも対象に就こうとするSachlichkeitの精神を涵養することこそ、大学/大学院における学問的訓練の基本的課題でなくして、なんであろう。

 

3.なぜ真っ先にBeruf論か――トポスに発する対話としてのヴェーバー叙述

 さて、以上の位置価をそなえた「ルターの職業観」節の劈頭第1段では、前稿で解説したとおり、「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ語(ドイツ語ではBeruf)が、近世以降プロテスタントの優勢な民族の言語にかぎって見られ、その始源を尋ねると、聖書の翻訳に、しかも翻訳者のひとりルターが『シラ』11: 20, 21ergonponosBerufと意訳した時点に遡る(らしい)との趣旨が述べられ、そこに付された注で、当の意訳の経緯が詳細に跡づけられている。

 とはいえ、このように真っ先に語Berufを取り上げ、語義の由来を論ずるからといって、当の論点が、「倫理」論文全体はもとより、第一章第三節「ルターの職業観」にかぎっても、最重要な「中心的論点」をなしているというわけではない。一般論としても、ある論文の「中心的論点」を提示するのに、手順を踏んで一歩一歩核心に迫っていくのではなく、冒頭でいきなり持ち出すというのは、少なくとも制御された論証を旨とする学術論文としては、稚拙というべきであろう。いずれにせよ、「倫理」論文では、著者ヴェーバーは、第一章「問題提起」の三節いずれにおいても、読者に馴染み深い知見を「トポス」(共通の場)として冒頭に据え、そこを出発点に、読者と対話を重ねながら、一歩一歩深奥部へと探究を進め、それと同時に、読者に「熟知」されたことがらを歴史・社会科学的な「認識」にまでもたらそうとしている。この第三節でも、現代日常語Berufの語義論が、著者のそうした叙述目的と構成手法にとって「トポス」として格好であるがゆえに、真っ先に取り上げられている。それも、Berufの語義が、ルターによる救済追求軌道の世俗内転轍という画期的「意義」と、伝統主義への傾斜という「限界」とをふたつながら象徴する事実とあってみれば、そうした「意義」、「限界」への導入部として最適な「トポス」が選定されているといえよう。

 

4.トポスから奥へは入れない――「倫理」しかもBeruf論抜き出しの「根拠」

 ところが、羽入は、「第一章“calling”概念をめぐる資料操作」で、この第一章第三節冒頭の第1段を(後述のとおり、他の三章における三箇所のばあいと同じく)「倫理論文全体における位置価を見定めることなくいきなり抜き出している。

 羽入書全体の眼目は、「ヴェーバーは詐欺師である」との全称判断をくだして「ヴェーバー詐欺師説」を立証することにあろう。とすれば、そうした判断を十全にくだすためには、本来、ヴェーバーの著作から証拠を集めなければならない。そうすることができずに、全著作から特定の数著作、それもできなくて著作を抜き出すとすれば、そのばあいにはせめて、当の一著作(羽入のばあい「倫理」論文)が、全著作のなかでいかなる位置を占め、そこにおける杜撰、詐術、詐欺が(かりにあったとして)いかに致命的か、著者を全面的に詐欺師と推認するに足るものかどうか、を論証しなければならない。

 ところが、羽入は、「倫理」論文そのものを抜き出す理由も、論じていない。この点について羽入書を隈なく調べてみても、「倫理」論文が「最も有名な」「代表作」1265)であるという世評におもねたナイーヴな断定以外、なんの根拠づけも見当たらない。そのうえで、当の「倫理」論文から、ここで第一章第三節第1段のBeruf論を抜き出すにあたっても、「『倫理』論文前半部中心的論点をなすと言ってもよい、余りにも有名な部分である」(23)と述べるのみである。羽入は、あたかもそれだけで、この箇所に的を絞ることの根拠づけが済んだかのように、あっさりとつぎの論点に移ってしまっている。

 このように概念規定を欠く甘い陳述」にたいしては、大学/大学院における研究指導において、たとえば卒業−/修士−/博士論文構想発表ゼミや論文審査における口頭試問などの機会に、@「前半部」というが、いかなる規準によって、どこで「前半部」と「後半部」とを分けるのか、それぞれの「主題」ないし主要「論点」はなにか、双方の「主題」ないし「論点」がどういう「関係」にあるのか、A「中心的論点」というが、どういう意味で「中心的」なのか、B「あまりにも有名な」というが、なぜ「有名な」のか、かりにじじつ「有名」とは認められるにしても、そういう世評を既成事実として無批判に受け入れその前提に乗って立論することが、学問として許されるのか、といった当然の質問が、「議論仲間」としての学生/院生から、あるいは「指導教官」から、つぎつぎに浴びせられるであろう。そのようにして、論文執筆者がどの程度、自分が題材として取り上げている文献を読みこなしているか、それについて透徹した理解と独自の見解の形成にまでいたっているか、がたえず試されるであろうし、試されなければならない。学生/院生の論文執筆者自身も、そうした経験を積むなかで、当然、同じような質問/あるいはもっと厳しい質問を予想し、問われるまえに、自分のほうから先手を打って、ありうべき質問への回答を概念的に詰めて示し、ゆめゆめ「甘い陳述」は「人目にさらすまい」と心がけ、こと学問にかんするかぎりは慎重にも慎重を期し、やがてはそれが「習い性となって」、整然とした論文も書けるようになろう。ちなみに、ある学生/院生にどの程度研究者としての素質がそなわっているか、の目安として、@殊更「手取り足取り」指導しなくとも、自分だけで、あるいは「議論仲間」との討論だけで、ことを運び、整然たる論文を完成してしまう人、A一度指摘すれば、自分のほうから同種の質問を予想し、致命的な瑕疵や欠落はない論文を仕上げられる人、B思い込みが激しく、なんど注意しても「隙だらけ」の叙述を改めようとせず、改められない人、という規準を立てることができよう。羽入書の著者は、自著の主眼にとって決定的な箇所で、上記のような「甘い陳述」を「人目にさらし」て恥じないところから見ても、明らかにBの部類に属する[12]

  ヴェーバーのばあい、いうなれば「倫理」論文が、かれの著作全体への「トポス」なのである。フランクリン論はその第一章第二節の、Beruf論はその第一章第三節の「トポス」にほかならない。つまり、原著者が、読者との接点として、意図して分かりやすく興味をそそるように書いている部位である。しかし、それはひっきょう、議論の深奥への導入部、いわば「序の口」にすぎない。思うに、そうした「トポス」の(また)「トポス」にとりついただけで、著者との対話を根気よく深奥部にまでつづけていこうとしない人/つづけられない人/(なお困ったことに)つづけられる人にたいして「ルサンチマン」を抱き、「逆恨み」する人が、それにもかかわらず、あるいはまさにそれゆえに、「ヴェーバー通」を装い12、参照)、ヴェーバーを「詐欺師」に仕立てて引き倒し、「溜飲を下げ」「恨みを晴らそう」と企てれば、そういう人にも分かるかぎりの「トポス」「序の口」を「中心的論点」と強弁し、同じ理由で「トポス」を「中心的論点」と錯視しがちな[13]世評を味方につけ、概念的に詰めた根拠づけの欠落は恣意的断定の反復と罵詈雑言で糊塗し、あわせて耳目聳動と世評受けを狙ってしゃにむに奮闘するよりほかには、なすすべがないであろう。そういう人には、対象に即して「全論証構造」を再構成し、個々の論点の位置価を見定めて論証することなど、もともと無理であろうし、おそらくは関心事でもないであろう。

 

5.「言語創造的影響」の歴史的・社会的被制約性――Beruf論のコンテクストと英訳論及の位置価

 さて、羽入はつぎに、当の第1段に付された全六段の叙述から、末尾第[6]段落の大半を占める(というのは、冒頭の導入句、ドイツにおけるルター以降の帰趨に触れたふたつの文章、および末尾に付加されたL・ブレンターノへの応酬を除き)16世紀イングランドにおける聖書英訳とBeruf相当語普及の経緯にかんする叙述を、これまたいきなり、つまりこの注3全体のコンテクストとそのなかにおける第段落の位置価を無視して、抜き出している。

 前稿で詳論したとおり、この注3は、[1]ルター以前の用語法、[2]ルターにおけるBerufの用法二種、[3]ルターにおける『シラ』11: 20, 21の用語法、[4]ルターにおける『コリントT7: 17-31の用語法、[5]ルターにおける『シラ』11: 20, 21へのBerufの適用経緯、[6]ルター以後16世紀におけるBeruf 相当語の波及、とも題されるべき六つの段落からなり、優に独立の一論文ともなりうる密度の高い内容と、厳密な論理的構成をそなえている。ただそれが、「倫理」論文の価値関係的パースペクティーフにおいては、「トポス」論議の付録として、注に送り込まれている。著者ヴェーバーの「関心の焦点」が、「生き方」(「エートス」と「思想」)にあって、たんなる語や語義や用語法にはないからである[14]。  

 注3の論旨を要約すれば、こうもいえようか。すなわち、語Beruf(厳密には「発音がBerufに相当する語」)は、ルター以前には(あるいは、ルター自身においても『コリントT7: 17-31のコンテクストを例外として除けば)、もっぱら「神の召し」あるいはせいぜい「聖職への召喚」という純宗教的な意味に用いられていた。それが、『コリントT7: 17-31で、「政府、警察、婚姻などの、神によって定められた客観的秩序(ないしはその秩序を構成する客観的『身分』)」の意味を帯び、1530年の「アウグスブルク信仰告白」でもこの意味に用いられた。ルターは、神の無償の恩恵にたいする内面的信仰を本義とする根本的立場から、外面的な行い/わざと、わざにもとづく外面的差異を相対化し、「命令」だけを守る「不完全な者=在俗平信徒」と「勧告」にもしたがう「完全な者=修道士」とのカトリック的区別を廃棄し、世俗内にあって神への信仰を貫き、世俗内道徳を遵守することこそキリスト者の「生き方」と説いていたが、やがて、@「現世のsubdivisionとしての身分」ばかりか、A「摂理観の個別精緻化」とB「伝統的秩序の神聖視」にともない、「現世のさらなるsubdivisionとしての職業」までも「神の摂理」と捉え、「神に召された使命としての職業」という概念を抱懐するにいたった。先に孕まれたこの職業概念が、聖書そのものの翻訳において最初に聖句として表明され一語に凝結したのは、ルターのばあいは1533年の『シラ』訳で、11: 20, 21の、もっぱら世俗的職業を意味していた原語ergon ponosBerufを当てたとき、まさにそうした意訳の形式をとってであった。その後、この純宗教的な語を純世俗的な職業/職業労働に当てて新たな語義を賦与する(無理ではないとしても大胆な、少なくとも)明白な意訳が、ドイツ語圏ではルター以降の翻訳者たちにより、(誤訳として拒否・排斥されるのでもなければ、「奇抜」「問題外」として顧みられずに廃れるのでもなく)まさにルターが賦与した新たな語義どおりに受け入れられ普及して今日にいたっている[15]

 そうなったのはもとより、宗教改革の精神が広く普及し、ルターの職業概念を受け入れる思想的な素地がととのい、社会的な「共鳴盤」が成立していたからであろう。ただ、そうした概念ばかりか、概念を表示する意訳語Berufまでが、拒斥されず、廃れもせずに、かえって「言語創造的sprachschöpferisch」(GAzRS, I, S. 65, 大塚訳、100ぺージ、梶山訳/安藤編、138ぺージ)な意義を帯び、影響力を発揮し、ドイツ語圏という「言語ゲマインシャフトの保有語彙のなかに取り入れられ確たる地歩を占めて今日にいたっているのは、いったいなぜであろうか。それはなにか、ルターによる、しかも旧約外典シラの一カ所における一回かぎりの「カリスマ的」語義創造が、一種独特の無制約的な(それ自体の潜勢力が時空を越えて発現し、あまねくいきわたるといった)「呪力」を帯びて、これが(歴史的・社会的には異なる条件のもとにある)他国語においても、直接まずはシラの同一箇所に発現しそこから他の諸箇所にも「伝播」し「波及」していった結果である、というわけではあるまい。そうした特定Berufの普及は、一方ではルター派が、16世紀のドイツ語圏という「言語ゲマインシャフト」において、まだ「多数派」とはいかなくとも少なくとも侮りがたい宗教的・宗教政治的勢力をなしつつあり、他方、ドイツ語という言語そのものが、領邦国家群への分裂と多様な方言の割拠から、国語としてまだ「合理化(ステロ化)」されず、まさにそれだけルターによる聖書独訳の宗教的・文化的・政治的な、それゆえ言語創造的影響が、国語の合理化」(「標準語」の確定/ステロ化)そのものにさえおよびえた、という歴史的社会的な諸条件に制約された帰結であるというほかはないであろう。

 ヴェーバーは、「ルターの職業観」節第1段落に付された注1を、「ルターは、まだアカデミックに合理化されていなかった当時の官用ドイツ語に、言語創造的な影響を与えることができたけれども、ロマン語系諸国のプロテスタントは、信徒数が少なかったため、そうした影響を[それぞれの母国語に]与えることができなかったし、あえて与えようともしなかった」(a. a. O.)と締め括っている。また、注3の第[5]段落末尾、つまり問題の第[6]段落に入る直前でもルター派の範囲をこえるBeruf相当語の普及に論点を転ずるに当たって、つぎのように述べている。「こうしてルターによって創始された、今日の意味における語Berufは、さしあたりはもっぱらルター派内にかぎられていた。カルヴァン派は、旧約外典[したがってそのひとつ『シラ』]を正典unkanonischと見なしていた。カルヴァン派が、ようやくerstルターの職業概念 Berufs-Begriffを受け入れ、重視するようになって今日にいたるのは、『確証』問題への関心»Bewährungs«-Interesseが前面に出てくる、あの発展の結果であって、当初の(ロマン語系の)翻訳では、ルターの職業概念を表示するのに使えるがなく、かつまた、すでにテスロ化されている国語の語彙のなかに、そうした[ルターの職業概念を表示する]を創り出し、流布させ、慣用語として定着させるだけの勢力もなかった」(GAzRS, I, S. 68, 大塚訳、107-8ぺージ、梶山訳/安藤編、144-5ぺージ)。

 このようにヴェーバーは、概念と、概念を表示するとをはっきりと区別し、職業概念を語義として表示するBerufならBeruf)の創始が、拒絶されず、廃れもせずに普及していく歴史的運命を、当然、紆余曲折をともなう現象とみなし、複雑な歴史的社会的諸条件を視野に収めたうえでそのなかで捉えていこうとしている。とりわけ、「世俗内禁欲」の歴史的生成と帰結という「倫理」論文の主題にとって最重要なカルヴァン派については特筆して、そこでは、正典とは見なされない『シラ』の訳はさしたる問題ではなく[16]、ルターの職業概念でさえ、評価され、重視されるようになるのは、カルヴァン派独自の、しかも大衆宗教性の発展を経て、(ルターにおける語Beruf創始の影響というこの注3の視点からは、いわば)影響先の主体的条件が後に熟して以降のことである、と述べている。すなわち、「この自分ははたして(予定説の)神に選ばれているのか、それとも棄てられているのか、どうしたら自分の選びを確信できるのか」という「『確証』問題への関心」が、平信徒大衆にとっては[17]切実となり、牧会ではこの問いに答えて、「神の道具」として職業労働に没頭せよ、と説かれ、このコンテクストで、ルターの「使命としての職業」概念受け入れられ同時に(ルターの職業概念から伝統主義色を払拭し、「現世改造/禁欲実践の変更可能な拠点としての職業」に意味変換する方向で)鋳直された、というわけである。カルヴァン派独自のこうした発展は、もとよりルターによる語Beruf創始の直接の16世紀における)影響には帰せられない。したがって、この注3のなかの、すぐあとにつづく最終第[6]段落では扱いきれないし、扱うべきでもない。それこそ、本論で、「ウェストミンスター信仰告白」(1647)に表明された二重予定神観の分析から始め、立ち入って論及されるはずである。原著者ヴェーバーは、直前でこのように、わざわざ断っているのである。

 以上が、羽入によって論難の的とされている遺構(「倫理」論文)の一部位(第一章第三節劈頭第1段落「トポス」に付された注3の第[6]段落)で、ルターによる語Beruf創始直後の16世紀とくにイングランドにつき、英訳諸聖書に顕れた訳語の帰趨を瞥見/通観しておこうとする、原著者マックス・ヴェーバー自身のパースペクティーフであり、その限定である。

 

6.概念と語との混同と「唯『シラ』回路説」

 では、羽入はどうか。当該部位の論点を、どう捉え、いかなるパースペクティーフに移し入れるのか。ここで、かれが繰り返し力説するところを、煩を厭わず傾聴するとしよう。

「……ヴェーバーによれば、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の当該箇所をルターが『世俗的職業』の意味を含む形で“Beruf”と訳したことそのことが、他のプロテスタント諸民族の俗語においてと同様、英語の内においてもまた、『世俗的職業』を意味するところの“calling概念[!]をもたらしたのであった……」(25

「……『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における『世俗的職業』の意味を含んだ独Beruf”がプロテスタント諸民族の俗語の内に受け入れられることによって、それぞれの国語の内に“Beruf”に相当する生み出していったのである、というのがヴェーバーの立論の骨子であった……」(30

「……『ルターが与え得たような言語創造上の影響』を、それもルターによる『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における“Beruf”というあの訳を介することによって、その国の俗語の内に与えることに成功したところの、ドイツ語以外のプロテスタント諸民族のおける『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の聖書訳……」132

「……『ベン・シラの知恵』11: 20, 21におけるルターによる訳Berufを通じて、英語圏内において“Beruf”に相当するニュアンスを含んだ“calling”というが発生したとするヴェーバーの立論……」(35

「……『ベン・シラの知恵』11: 20, 21を経由して英国においてルターの“Beruf”概念[!]に相当する“calling”概念[!]が発生したとするヴェーバーの主張……」(35

⑹「……彼[ヴェーバー]がルターのBeruf”訳の直接の影響が現れているはずである『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の英訳聖書の各訳を見て議論を立てることができず全く意味のない『コリントT7: 20で議論を組み立てざるを得なかったのは、ただただOEDの“calling”の項目に『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の用例が記載されていなかったから、という情けないことになる。」(44

⑺「彼[ヴェーバー]が『ベン・シラの知恵』11: 20, 21におけるルターの“Beruf直接の影響を『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の英訳聖書の用例を用いて『倫理』論文中で論じれなかった[sic]のは、現物の聖書を手に取って調べなかったからに過ぎない。」(44

⑻「……『倫理』論文における彼の元来の主張……、すなわち、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21におけるルターによる“Beruf”の訳の影響下においてこそ、あのプロテスタント諸民族に特有の、宗教的召命の意味を含むと共に世俗的職業をも同時に指す、“Beruf”というと似た色合いを持つが、全てのプロテスタント諸民族の俗語の内に生み出されたのであるとする彼の元来の主張……」(51

⑼「……『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における“Beruf”という訳こそが、“Beruf”というの、宗教的意味ばかりか“世俗的職業”の意味も含む、ルターが創始した用法なのであり、そしてその用法がプロテスタント諸国のそれぞれの国語に影響を与えたのであるとヴェーバーは主張したのであるが、ところが彼が英訳聖書に関して詳細に論じているのは『ベン・シラの知恵』11: 20, 21ではなく『コリントT7: 20である。」(265

⑽「……ルターが『ベン・シラの知恵』11: 20, 21を“世俗的職業”の意味を含む形で“Beruf”と訳し、その用法を聖書の英訳者達が直接に受け継ぐ形で、“宗教的召命の語義を含む職業という”が英語圏へと伝わったというヴェーバーの推論は成り立たない。」(266

 このように同じ趣旨を飽くことなく繰り返せるのが、羽入叙述に独特の持ち味であるが、この十カ所を辛抱して読み通すと、まず、では「概念」、他では「」ないし「用法」(用法)との表記が見られ、概念と語とが区別されずに混用混同されていることが分かる。では、この混同は、なにを意味し、なにをもたらしているであろうか。

 前稿でも本稿でも繰り返し確認してきたとおり、ルターにおいてはまず、「神の摂理としての客観的秩序」という概念が孕まれ、この「客観的秩序」が「身分」から「職業」へと個別化されて、「使命としての職業」という概念が成立し、これが、聖句としてはルターによる聖書翻訳事業の進展においてたまたま旧約外典シラ翻訳の時期と重なったために、その11: 20, 21ergonponosBerufを当てるという形で、鮮やかに表明されたのであった。とすれば、まえもって成立している(あるいは形成途上にあるか成立間際にある)職業概念が、聖句以外にも、たとえば釈義著作語録に、同様ないし(多少は)別様に表現され、これが広く俗語の語彙や用語法にも影響をおよぼしていく、ということもあったはずである。また、聖句にかぎるとしても、ルターの翻訳計画ならびにその進捗のいかんによっては、当の職業概念が、『シラ』句ではなく最寄りの時期に翻訳された他の聖典の(ただし世俗的職業を伝統主義的に意味づけるかぎりで『シラ』句と同義等価ないし類似の)箇所に、語としては先に表現され、定着し、その後『シラ』句にも適用される、ということも、十分「客観的に可能」であったろう[18]。ルター以降、ルター派の翻訳者たちが、ルター本人はRufで通した『コリントT7: 20klēsisにもBerufを当てた、という事実も、ルターが(かれはかれの事情で)最初には『シラ』11: 20, 21で語Berufに表明した「使命としての職業」概念を、後のルター派の翻訳者たちが引き継ぎ、それを翻って(いまやergonponosの世俗的職業/職業労働という意味も含めながら)『コリントT7: 20(のklēsisにも適用した結果であって、いわば「使命としての職業」を語義とする語Beruf成立、再々成立、……の連鎖と解されよう。

 ところが、羽入は、「使命としての職業」を表すBerufの、ルターにおける成立を、先行する概念形成から切り離して、短絡的に『シラ』11: 20, 21直結し、ここに過当な力点を置き、あたかも一回的な「言霊」「呪力」の源泉がそこに湧き出たかのように捉えて、上記引用のとおり反復/強調する。その結果、⑶の引用句からも明白に読み取れるとおり、他の「言語ゲマインシャフト」にあって宗派に属し、それぞれの歴史的・社会的条件のもとで宗教改革にかかわっている翻訳者たちもみな、当事者としての聖書翻訳計画のいかんにかかわりなく、所属宗派における旧約外典一般の位置づけと取り扱いのいかんにもかかわりなく、ただただルターが旧約外典『シラ』の翻訳で鮮やかな意訳を敢行したという理由だけで、ただちにそれを、そのまま自国語版『シラ』訳に引き写すかのように、また、そうしさえすれば、あたかもルターが『シラ』句で捻り出した「言霊」の「呪力」がそのまま自国語版『シラ』句にも乗り移って、歴史的社会的諸条件のいかんにかかわりなく、「ルターが与え得たような言語創造上の影響」力を発揮し、他の聖句や俗語の語彙にも波及していくかのように、頭から決めてかかっている。この生硬な非現実的・非歴史的想定こそ、筆者が拙著『ヴェーバー学のすすめ』で「唯『シラ』回路説」と名づけたものにほかならない。羽入書「第一章」では、こういう「言霊・呪力崇拝」の非科学的カテゴリーが「プロクルーステースの床」にしつらえられ、「倫理」論文「遺構」から抜き取られた「遺物」が、その上に寝かされて裁断されるのである。

 

7.定点観測に最適の『コリントT』7: 20

 羽入は、原著者ヴェーバーが、問題の第[6]段落に入る直前で、上記のとおり、『ベン・シラ』中心の「呪力崇拝」的パースペクティーフを戒め、Beruf相当語直後の普及についても、普及先の歴史的・社会的諸条件と翻訳者たちの主体性を顧慮するようにと説き、警告を発していたにもかかわらず、読み落としたのか、読んでも意味を考えなかったのか[19]、ⓑ羽入自身の「言霊・呪力崇拝」的「唯『シラ』回路説」のパースペクティーフ(「配置構成図」)を外から持ち込み、第[6]段落の論点を、ヴェーバー的歴史・社会科学の原コンテクスト/原パースペクティーフから引き抜いて、自分の「配置構成図」に移し入れ、ⓒ「杜撰」の証拠に意味変換している。

 まず、羽入は、上記引用⑹からも読み取れるように、ヴェーバーが英訳諸聖書の『シラ』11: 20, 21を調べるべきであったにもかかわらず、それができずに、「全く意味のない」『コリントT7: 20 klēsisの訳語を調べている、と非難する。ところがそれは、繰り返すまでもなく、かれが「唯『シラ』回路説」という非現実的・非歴史的仮定を持ち込み、これに囚われて第[6]段落を読み、ヴェーバーの論点も、そうした自分のパースペクティーフに移し入れ、並べ替えるからこそ成り立つ読みであり、非難である。ドイツともロマン語系諸国とも異なるイングランドの「言語ゲマインシャフト」にあってルター/ルター派とは異なる諸宗派に属する翻訳者たちの訳語選択を通観するにあたっては、歴史的社会的条件の違いを考慮に入れてかかる必要があり、意味のある類例比較を(当該第[6]段落ひとつで手短に完遂するには、定点観測点ひとつ選定しなければならない。とすればそれに最適なのは、(新約正典として)すべての宗派に重視され[20]かつ(ルター本人における)純宗教的「召し」から「神の摂理としての客観的秩序」「客観的秩序の下位単位としての身分」をへて(ルター以降の「普及諸版」では)「使命としての世俗的職業」にいたる意味変遷が、前段までで確認され、ひとつのスケールをなすことが判明している『コリントT7: 20であり、それ以外にはないであろう。羽入は「全く意味のない」『コリントT7: 20というが、それは、ヴェーバーがこうした方法的思考にもとづいて定点観測点を選定している「意味がまったく分からない」という告白と解するほかはあるまい。

 

8.杜撰による「杜撰」の創成――誤導防止は専門家の責任/社会的責任

 大学/大学院におけるテクスト読解のゼミで、こういう「怖さを知らない無知・無理解」が露呈すれば、「『テクストの字面しか読まない』でいると、誤解したり、皮相な解釈にとどまったままで『自分では得意になる』ことがままあるから、「慎重によく行間を読むように」と注意され、是正されるはずである。それが、読書指導/研究指導の基本といってよい。ところが羽入は、どうやらテクストを字面でも、まともに読んではいない。というのも、羽入は趣旨上述の論難を開始するに当たって、つぎのように述べている。

「前掲引用部分[第[6]段落中のイングランドにかかわる部分]の冒頭は、『英国では[――全てのものの中で一番最初のものとして――]ウィクリフ派の聖書翻訳(1382年)がこの箇所をhiercleping”(後に“calling”という借用語によって取って替わられた古代英語)と訳し……』という唐突な表現で始まっており、これのみでは、ここでヴェーバーがどの箇所を指して述べているのか極めて分かりにくいのであるが、ここで論じられているのが『ベン・シラの知恵』11: 20, 21ではなく『コリントT7: 20であることは、ティンダル訳を“in the same state wherein he was called”と引用していることから分かる。」(25-6)原文のhier が『コリントT7: 20を指すということが、同じ文章後段のティンダル訳から遡って初めて分かる、といいたいのであろう。

  ところが、羽入によって当該第[6]段落から引用された叙述の直前には、「ルター以前の聖書翻訳者は、klēsisの訳語として»Berufung« を用いていたし(……)、1537年のエック訳インゴルシュタット版では、»in dem Ruf, worin er beruft ist« となっている。ルター以後は、カトリックの翻訳もたいていは直截にルターにしたがっている」(GAzRS, I, S. 68, 大塚訳、108ぺージ、梶山訳/安藤編、145ぺージ)とあり、この直後に「イングランドでは、……」という羽入の「前掲引用部分の冒頭」がつづく。したがって、羽入が引用した原文のhierが『コリントT7: 20を指すことは、字面でも直前のエック訳»in dem Ruf, worin er beruft ist« から一目瞭然である。これが「唐突」に見えて「極めて分かりにくい」というのは、「イングランドでは、……」以下を、同じ段落しかも直前の文章から切り離し、そこだけに視野を限定してしまうからで、明らかに読み手の側の錯視である。あるいは、自分の読みが字面でさえ杜撰なために生じた「唐突」という誤印象の責任を、原著者に転嫁し、ヴェーバーを「杜撰」な著者に仕立てて、読者にもそう印象づけている、というほかはない。

  なるほど、こういう箇所(大学/大学院教育がまともにおこなわれていれば、「言論の公共空間」にさらされるまえに是正されているはずの誤謬)をいちいち取り上げて立証までするのは、「大人げなく」「気恥ずかしい」くらいの些事拘泥である。しかし、「倒す」と決めた相手の「あら」を、こういうふうにして「捜す」、というよりもむしろ創り出し捏造し、あわせて自分の読みと論証の「緻密さ」を誇示しようというのが羽入流の計算で、類例も枚挙にいとまがない。読者間にも、こういう箇所を、いちいち原文ないし訳文と照合して検証しながら読む人は、ごく少ないであろうし、そんな重荷を読者に負わせるべきではないから、少なくて当然であろう。ところが困ったことに、それでは、こういう具合に「杜撰」を捏造する「一見自信たっぷりの口吻」が影響力を取得し、読者誤導が「野放し」になる。こういう一見些細な問題点を逐一指摘し、目に止まりにくい誤読/錯視/曲解/誤導を、さればこそ労を厭わず暴露、論証して警鐘を鳴らすことも、まさに目につきにくいがゆえに、専門家以外の誰にも転嫁できない優れて専門家の責任とされざるをえないのではなかろうか。現代大衆教育社会の構造的背景のもとで、羽入書が「言論の公共空間」に華々しく登場し、いっとき脚光を浴びた意味を、相応に深刻に受け止めるならば、専門家の責任/社会的責任をそこまで広げるほかない時代に入ってしまった、と認識し、専門家・当事者としての自覚にもとづく、責任ある対応を、考えていくべきではあるまいか。

 

9.「詐欺」仮説にもとづく非難と「杜撰」説への後退――思い込みの枠内で

 つぎに羽入は、なぜヴェーバーが、『シラ』11: 20, 21でなく『コリントT7: 20を取り上げたのか――(羽入にいわせれば)『シラ』11: 20, 21を調べることが「できなかった」のか――につき、@『シラ』11: 20, 21を調べるとBeruf相当語(calling系)でないことが判明して、「自分の立論が破綻してしまう」(引用と知っていた(から、『コリントT7: 20を持ち出して破綻を隠蔽し、読者を欺いた)、A英訳諸聖書を逐一手にとって調べる研究を怠りOEDの“calling”項目に当たってみたにすぎず、そこには『シラ』11: 20, 21の用例が記載されていなかったために言及できず、代わっては記載のあった『コリントT7: 20を持ち出してお茶を濁した、というふうに、(自分の思い込みの枠内で、羽入の身の丈には合った)ふたつの理由を挙げ、@「詐欺説」を仮説として非難の言葉は投げつけながら、立証はできないと悟ってか、けっきょくはA「杜撰説」を採っている。

「ヴェーバーは英訳聖書では『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の当該部分が“calling”とは訳されていぬことに少しも気づいていなかったために全く無邪気にも英訳聖書における『ベン・シラの知恵』11: 20, 21を引用しなかったのであろうか。あるいは全く逆に、ヴェーバーは英訳では『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の当該部分が“calling”と訳されていぬことを承知していたからこそ、それらに言及しなかったのであろうか。

 もしも後者であるとするならば、“calling”とは訳されていない英訳聖書における『ベン・シラの知恵』11: 20, 21に言及することが自分の立論にとって不都合であることを十分意識した上で、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21ではなく本来は全く関係もなく意味もない『コリントT7: 20 に関する詳しい議論に読者の注意を引き付けそらすために、『コリントT7: 20に関する難解な詳論をした、ということになろう」(35)。

  こうまでいっておきながら、羽入はすぐに踵を返す。

「ヴェーバーは英訳聖書において『ベン・シラの知恵』11: 20, 21が“calling”とは訳されていないという事態を全く予想もせずにいた、と推測される。よりあからさまに述べるならば、ヴェーバーは『ベン・シラの知恵』11: 20, 21の当該部分を英訳聖書がどのように訳しているかについて、オリジナルな英訳聖書で調べてみることすらもしなかった、ということである。われわれの推測の根拠となる点を以下に挙げよう」(35-6)。

 

 



[1] 当初からお断りしているとおり、筆者は一ヴェーバー研究者を自任し、相応の責任は執るが、「倫理」論文ないしはその関連事項を特別に研究している専門家ではない。なるほど、一大学の教養課程とそのエクステンションとしての公開市民講座などで、たびたびデュルケームの『自殺論――社会学研究』とともに「倫理」論文を取り上げ、「経験的モノグラフと方法論との統合的読解・会得」という方針のもとに、教材として活用してきた。そうするなかで、前二稿で取り上げたヴェーバーの論旨にもしばしば触れた。しかしそれは、ヴェーバー研究者やヴェーバー読者の常識に属することで、とくに研究論文に仕立てて発表するまでもないと考えていたし、いまも考えている。むしろ今回、その「常識」さえ身につけていればなんなく対応できる羽入書の主張に、多くのヴェーバー研究者とりわけ大塚久雄門下の「倫理」専門家が沈黙し、一門外漢ともいえる老生がピンチヒッターに立つ羽目になったのは、率直にいって不可解かつ不本意なことである。

[2] 「負け惜しみ」「妬み」「怨念」。いかなる社会でも、富、権力、威信、救済など、「よきものとして希求される諸財Güter」の分配には「不平等」があり、「(相対的に)恵まれたpositiv privilegiert層」と「(相対的に)恵まれないnegativ pr.層」との分化が生ずる。そのさい、一方では@Gut軸ごとに分化の異なる「多元化」(たとえば富に「恵まれる」者は威信には「恵まれない」、またはその逆、など)ではなくて、「一元化」(「恵まれる」者は軸で「恵まれ」、「恵まれない」者は全軸で「恵まれない」)が生じ、他方ではA「恵まれる−恵まれない」双極間にスペクトル状の漸移−流動関係がなく、両極分解とその固定化が顕著に現われるばあい(たとえば19世紀のヨーロッパ)には、「支配階級と被支配階級」「主と奴」の「階級闘争」「身分闘争」が闘われ、こうした闘争を基軸に据える歴史像ないし社会理論が構成される(マルクスとニーチェ)。「ルサンチマン」とは、無力な「奴」側の、有力な「主」の「返り討ち」を恐れて表出されず、その意味で心理的に「抑圧され」「内向」して鬱積する「復讐欲」「復讐願望」の謂いで、これが、「倫理」や「宗教」の領域で「代償」的に「復讐」をとげ(「道徳上の奴隷叛乱」)、「溜飲を下げ」「落とし前をつける」ような「観念」の源泉となるばあいもある。ヴェーバーは、ニーチェによるこのルサンチマンの発見相応に評価し、「世界観的・『全体知』的固定化」は避け、概略以上のとおり歴史・社会科学の一作業仮説に相対化して批判的に駆使していた。

[3]農民出自の武士(たとえば「新選組」)は、生粋の武士以上に「武士らしく」振る舞おう――あるいは少なくともそう装おう――とし、ブルジョアジー出身の「プロレタリア革命家」は生粋のプロレタリア以上に「プロレタリアらしく」振る舞おうとする。このように、「身分」の境界線を越える、あるいは越えようとするさいに生ずる「過同調 over-conformity」ないし「強迫的同調 compulsive conformity」は、生粋の身分構成員にはない活力と(ばあいによっては)新風を吹き込むが、反面、そうした「業績」「達成」によって生粋の構成員を「見返してやろう」という動機を秘めてもいる。ここでは、両面をあわせて「過補償」動機と呼び、「価値自由記述語として用いる。

[4] 拙著『ヴェーバー学のすすめ』(2003、未來社)では、この操作を「『疑似問題』の持ち込み」と表記した。本稿は、その「『疑似問題』の持ち込み」をたんに「意味変換操作」と言い換えるのではなく、本コーナーへの寄稿を含め、拙著公刊以降の批判、反響を受け止めて再考し、羽入書批判結語として集成した、拙著の続篇(完結篇)である。

[5] 以下、羽入書からの引用はすべてノンブルのみ記す。圏点は引用文の著者、下線は(引用文中を含め)筆者(=折原)による強調。引用文中の[  ]は筆者による補足の挿入。

[6] 詳しくは、拙稿「ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理』論文の全論証構造」、『未来』20043月号、32-39ぺージ、本コーナーに転載、参照。

[7]「学問的」というのは、「自文化しか知らない、独りよがりのナイーヴな自文化中心主義」ではなく、他の諸文化に通じ、それぞれの特性/長所短所を知り尽くしたうえで、自文化の個性を把握し、その問題点を克服していこうとするスタンスの謂いである。

[8] 「禁欲的プロテスタンティズム」にとっては、伝統的秩序(やその下位単位)の神聖視は忌むべき「被造物神格化」であろう。信徒各人は、伝統的秩序を、内面的に受け入れて適応するのではなく、「神の栄光」を現世にあまねくにいきわたらせるため、「神の経略」にしたがって合理化すべき素材として捉え、そうした目的にとって有益かどうかを規準に(したがって本来変更可能な)自分の職業を選択し、これを現世内の拠点に、「神の道具」として労働に勤しみ、現世を合理的に改造していかなければならない、ということになる。

[9]「成功物語success story」として歴史を構成し、頂点に自文化をもってきたがる向きは、この「限界」の限定(被限定性)を容易に看過するであろう。しかし、ルターはたとえば、「キリストご自身……貸与を定義して、ルカ福音書第六章(35節)で、『何もあてにせずに貸しなさい』と言われている。ということは、あなたがたは無償で貸し与えるべきであり、ふたたびもどってくるかどうかは、(相手の出方に)賭けるよりしようがないということである。貸したものより良いもの、あるいはより多くのものをとりもどすつもりで貸す者は、したがって、公然たる罰あたりの高利貸である」(「商業と高利」、松田智雄編『ルター』、世界の名著181969、中央公論社、342ぺージ)と述べる。ヴェーバーもしばしば、この『ルカ』6: 35を引いて、「なにもmēdenあてにせず」は「なんぴともmēdenaあてにせず」の誤訳と解し、伝統的(というよりも原生的)「近隣ゲマインシャフト」における「救難義務」としての「緊急貸付」に由来する、その宗教的「醇化」と見る。この規範が、資本主義の観点から見るかぎり「立ち遅れた」「伝統主義」であることは明白であるが、だからといって宗教的ないし宗教倫理的に「誤り」ないし「無価値」といえるであろうか。

[10] 別の(たとえば「固有の意味におけるルター研究」の)問題設定と価値関係的パースペクティーフからすれば、「ルターの職業観」節を中心部に見立て、「禁欲的プロテスタンティズム」にかんする本論はいっさい顧みないということも、十分ありうるし、正当な学問的研究として成り立ちもしよう。しかし羽入はもっぱらヴェーバーの知的誠実性を問うという。羽入自身の問題を投げかけ、たとえばなんらかのヴェーバー・テーゼの歴史的妥当性を問うのではないと「まえもって警告」している。したがって当然、ヴェーバー自身の論理展開に内在して知的誠実性の「崩壊」点を暴露し、論証しなければならい。筆者は、拙著『ヴェーバー学のすすめ』で、それがじつはそうではなく、羽入がヴェーバー自身の論理展開に内在できず、「疑似問題」を持ち込んで「ひとり相撲」をとっているにすぎないと主張し、羽入の知的誠実性の崩壊点をそのつど暴露し、論証している。

[11] 管見によれば、「倫理」論文は、著者の価値関係的パースペクティーフに即してよく制御されている「引き締まった作品」であり、なんの重要度ないし位置価もない、たんに「道草を食う」だけの叙述は、なかなか見当たらない。一見そうした印象を受ける箇所も、じつは読解不足のためで、三読四読するうち、やっとその位置価に思いいたることが多い。

[12] 東京大学大学院人文科学研究科倫理学専門課程における羽入の「指導教官」と「論文審査教官」がこの点に気がつかなったとすれば、研究指導にあたって怠慢であったといわざるをえないし、気がついていながら修士/博士の学位を授与したとすれば、投げやりというほかはない。いずれにせよ、学問の未来学問研究者養成の将来を考えると、ここでかれらの責任を不問に付すわけにはいかない。筆者としては、この一連の「羽入書批判結語」により、羽入が学位に値しない事実を立証したうえで、博士論文原論文審査報告書類を閲覧し、正面から指導教官、論文審査教官の責任を問う予定である。したがって、かれらの名前と論文審査の問題点が具体的に明るみに出るのは、時間の問題である。せめてかれらが、それ以前にみずから名乗り出て、過誤を認めるなり、筆者に反論するなり、いずれにせよ学者として「知的に誠実に」責任を執るよう、ここで再度要請する。

[13]「倫理」論文をひととおり読んではみたけれども、深奥部は分からないか、一知半解のまま、忘れてしまい、鮮やかな「トポス」だけが記憶に残っている、という読者は、事実として多いにちがいない。別に非難するのでも、軽蔑するのでもない。「倫理」論文にかぎらず、深奥部をそなえた学術論文とは、そういうものである。とすれば、そういう読者の記憶と意識において「トポス」がいつのまにか「中心的論点」に昇格するのは、ごく自然の成り行きであろう。

[14]ところが羽入は、「語」を「生き方」から切り離したうえ、もっぱら「語」、それも「思想」を表現する用語法よりも個々の用例、しかも語よりも語の外形、に力点を置く。というよりも、外形だけに視野を限定して、ある語がある原典に「あるか、ないか」の生硬な「二項対立図式」をふりかざす。歴史において、社会をなして生きる人間諸個人によって多様に紡ぎ出され、多様に「語」り出される「意味」や「思想」、とくにそれらの動態には、思いがおよばない。それぞれの個性を逸しないように、しなやかに認識していこうとする方法/方法論議も、顧みようとはしない。要するに、そうした自分の「限界」「殻」を割って出て、みずから向上しようとはせず、かえって「殻」に居直り、閉じ籠もったまま、「世界初の発見」をなしとげ「高みにまで上り詰めた」と思い込みたがる。

 じつは、こうしたスタンスこそ、他ならぬヴェーバーが、ちょうど一世紀まえ、「倫理」論文の末尾で暴いて見せた「末人」「大衆人」流にほかならない。そういうスタンスのままでいては、およそ歴史・社会科学、とくにヴェーバーのそれに内在して理解することはできない。そういう「虫のいい」スタンスを暴いて戒めてくるかれを「逆恨み」して敵意を抱き、「悪魔」として打倒せんものと、「悪魔の手口を見抜く」べく、かれの歴史・社会科学の中身を捉えようとしても、それに内在して理解することはできず、かえってそれだけ「自分には分からない」、「それなのに分かる(あるいは分かると称する)連中がいるのは憎い」という「ルサンチマン」を抱かざるをえない。このルサンチマンからは、虚構のパースペクティーフが生まれ、それを「自分には分からない」対象に押しかぶせる結果、ますます対象を内在的には理解できないように、対象との距離が開くように、自分を追い込んでいくことになる。そうするとこんどは、翻ってそれだけ、「自分には分からないのに」というルサンチマンもつのり、ここからまた虚構のパースペクティーフと虚説の捏造が始まる。際限のない悪循環であり、知的誠実性を回復しないかぎりは這い上がれない「蟻地獄」といえよう。

 とまれ、こういう言い方では、それこそ「甘い臆断」とも解されかねまい。そこで以下、これを仮説とし、羽入書の主張に内在して具体的に検証していこう。それこそがじつは、現代大衆教育社会で構造的に生産/再生産される「ルサンチマン」と「過補償」動機から、羽入あるいは羽入予備軍を解放し、知的誠実性の回復を介助し、「蟻地獄」から救い出す唯一の道でもあろう。 

[15] 「意訳」の歴史的運命に、この三理念型を区別し、明晰に定式化したのは、宇都宮京子である。本コーナーへの宇都宮寄稿(その2)、参照。

[16]かりに、カルヴァン派が旧約外典を翻訳するとしても、それは、旧約外典を比較的重視したカトリック、ルター派、英国国教会の旧約外典解釈にたいする欄外注での論駁のためで、伝統主義的な「神への信頼」を説く『シラ』7: 20, 21殊更Beruf相当語を当てるはずはないと十分予想できよう。じっさいヴェーバーは、ヨーロッパにおけるカルヴァン派系翻訳の典拠ともいえるフランス語訳で、ergonoffice に、ponoslabeurに、直訳されている事実を確認している(GAzRS, I, S. 65, 大塚訳、100ぺージ、梶山訳/安藤編、138ぺージ)。したがってかれは、英訳がフランス語訳の影響を受けながらもergonofficeworkに、ponoslabourtoilに直訳し、Beruf相当語callingは当てていないと予想し、あえて英訳『シラ』を「手にとって調べる」にはおよばない、そんな「道草」をくったら研究の経済的格率に反する、と適切に判断できたであろう。じっさい、羽入の原典調査は、羽入の意図に反して、ヴェーバーの予想が正しかったことを裏付けている(54-7)。

[17] この問いは、自分が神に選ばれていると確信しているカルヴァン(1504-64)本人には問題とならず、むしろそうした疑惑に囚われること自体、信仰が足りない証左として非難された。

[18] 「倫理」論文第一章第一節第1段落注3の叙述から、こうした仮説を引き出し、ルターによる聖典翻訳だけでなく、釈義著作語録などにも検索の範囲を広げて検証していく研究――固有の意味におけるルター研究と交錯する言語社会学的語義史研究――が、プロジェクトとして考えられる。筆者がざっと調べたところでは、1520年の『キリスト者の自由』や『キリスト教界の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に与う』で「職務」「職業」と邦訳されている箇所はamptwerckであるが、1523年の『現世の主権について』になると、二箇所にberuffが当てられる(WA11, 1900, 258, 276)。一非専門家の印象にすぎないが、ルターは、自著や釈義では早くから比較的自由に自分の用語法を通しているが、聖典そのものの翻訳にはきわめて慎重で、ことによるとergonponosBeruf を当てるという大胆な意訳も、旧約外典の『シラ』なればこそ敢行しえた、といえないこともないように思われる。こういう問題については、すでに専門的業績は蓄積されていて、筆者が寡聞にして知らないだけであろう。専門家のご教示と、できればご発言を、期待したいところである。

[19]羽入書に改訂されたという博士論文の原題が振るっている。「『倫理』論文におけるマックス・ヴェーバーの『魔術』からの解放Die Entzauberung vomZauberMax Webers in derProtestantischen Ethik”」というのだそうである。

[20] 「旧約外典を正典外とみなしていた」カルヴァン派を、最重要な比較の項として念頭においているヴェーバーにとって、旧約外典の『シラ』は、この条件をみたさないから、それだけで定点観測点として問題外である。なお、カルヴァン派による旧約外典の取り扱いにかんして、このヴェーバーの判断に疑問を呈することはできようが、それはまた別個の「歴史的妥当性」問題である。